舟山(ふなやま)
- ●伊豫豆比古命が此の地(津の脇)に御船を寄せ給いし時に、翁神(地主神・塩鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ))が纜(ともづな)を巌頭に繋(つな)いでお迎えした。依って船山と名付く…という伝承があります。
- ●船山は現在の社地の丘を称する名前で、船崗、船山と言う地名は神社の社地が丘をなす場合広く使われたようで、丘の形状を小船の形で素朴に表現したものです。
●伊予の二字は古事記に見えるのが初見で、国造本紀には「伊余」とあり、日本書紀、三代実録伊予風土記、湯国碑文には「夷与」とある。天平十年西琳寺僧宝帳には「伊預」と記す。
●イヨの字義について本居宣長は「弥(いや)」の儀と説き、郷土史家は「温泉(ゆ)」にイと言う接頭語が付いたと説いている。「温泉(ゆ)」=「癒(ゆ)」(病気治療の効用から)でもある。

①言久味国造軽島豊明朝神魂尊(かむむすひのみこと)十三世孫伊与主命定賜国造
②伊予の国造(くにのみやつこ)は成務天皇(一三一~一九二)の朝に他国に先んじて置かれ、かつ、景行天皇熊襲征伐の折に大功を建てた敷しきけたひこの桁彦命の子速後上(はやしりえ)命が任ぜられた。国造本紀によれば、七世紀の始めの愛媛では、伊予・久味・小市(おち・越智))・怒麻(ぬま・野間)・風早の五ヶ所に国造があったと記されている。久味国造は最初の国造、伊豫国造より僅かに数十年を隔てて応神朝に置かれ、初代国造に就任されたのが伊与主命である。
③愛比売(えひめ)は兄弟の女子を兄比売弟比売(えひめおとひめ)と云例多かれば、此国は女子の始の意にて兄比売か。又伊豫を元よりの大名にして見れば、彼大御歌(応神)の如く彌並宜島々(いやならびよろしきしまじま)の意にて愛(え)は宜(よろし)き意か。比売(ひめ)は比古(ひご)に対して、女を美(ほめ)て云称(な)にて、比(ひ)は産巣日(むすび)などの日の意なり。























